
昭和63年病院で松下塾長をお見舞い。翌年他界された
<松下塾長死去>
松下さんからの請求書は、翌年もまたその翌年も届いた。しかも、いつもきっかり「3月15日」。
平成元年、いつものように4回目の請求書の支払いを終えた翌月の4月28日、私は三男の手術の相談で順天堂病院にいた。病院を出ると、私の事務所からの電話。「すぐ政経塾に電話してください」と秘書。塾頭に電話すると「今日松下塾長が亡くなられた。これからのことはまだ何も決まっていない」とのこと。
「えっ!!」 私はショックで言葉もなかった。いつかは訪れなければならないこととは理解していても、頭が真っ白になった。とりわけいろいろと心配をさせてきた塾生だったので、「何も恩返しもできなかった」という悔しさと「もういないんだ」という悲しみが入り交じって、私は帰り道涙が止まらなかった。
昭和天皇とともに、松下さんは明治、大正、昭和の3つの激動の時代をかかえてこの世を去った。そしてその年の7月、私は都議会議員に再選された。
昭和が終わり、松下さんが去った平成の最初の年は、竹下内閣の退陣や消費税問題で大揺れの一年だった。そしてその翌年の3月15日、また請求書が届いた。松下さんが亡くなっても債務はなくなるわけじゃないのに、私は不思議な感覚にとらわれた。請求者は松下政経塾となっているが、私は亡くなった松下さんから請求書が届いたと感じた。と同時に、不思議なことに、初当選の時に私に言われた
「ええか、謙虚やで。わかったか」
という松下さんの言葉(十一話参照)が、請求書を見ているとはっきりよみがえってきたのだ。嬉しくなった。
その後5年にわたって、請求書は3月15日にきっちり届いた。そしてその度ごとに「ええか、謙虚やで。わかったか」という松下さんの言葉を思い出すことになった。思い返すと、松下さんは亡くなっても6年間に渡って、「天国からの請求書」という形で、とかく調子に乗りやすい私を戒め続けてくれたのかもしれない。感謝。感謝。
お借りした500万円を10年で返済し終わった平成7年の3月、私は衆議院議員となっていた。