
写真:旧都庁での都議会初質問(右に鈴木俊一都知事)
ちょっと時代がもどりますが、都議会議員に初当選した昭和60年(1985)の10月に、私は初めて本会議の質問に立ちました。今は何について質問したか定かには覚えていませんが、緊張で震える最初の本会議で、当時の鈴木俊一都知事からじかに、しかも答弁書を読み上げるのではなく、ご自分の言葉で私のつたない質問に答えてくれたことだけは、今も鮮明に覚えています。
「自然の豊かなところに『都民のふるさと村』をつくってほしい」といった質問だったが、鈴木都知事は「とてもよい提案で感銘を受けました」と言ったあと、ご自分の考え方を述べたのです。当時は(たぶん今も)、新人議員のつたない質問に、知事が自分の言葉で答弁することは余りなかったので、翌日の新聞は「知事『都民ふるさと村』に前向き」と大きな記事になったくらいでした。
ただ今確信をもって言えるのは、私の質問内容がよかったのではなく、鈴木知事は最年少の議員にエールを送ってくれたんだということです。当時の私は嬉しくて自信をもてました。本当にありがたいことでした。だから私は、いま区長という答弁に立つ側になって以来、区議会の新人議員の初質問にはできるだけ自分の言葉で答弁しようと努めてきました。人間というのは、本当に「生かし生かされ」です。
都議会時代は、恥ずかしい思い出も多いです。
有楽町の旧都庁跡に国際会議場(現国際フォーラム)を建てようということで、「国際フォーラム検討懇談会」というのが知事の諮問機関でつくられ、私は議会の代表の一人としてそのメンバーになりました。そして懇談会として、海外の事例を参考にしようということで、欧州視察に行ったことがありました。訪問団は、磯村英一都立大名誉教授を団長に、中村三菱銀行頭取や岡田ジャスコ社長(今の民主党岡田代表のお父さん)などの経済人なども含めそうそうたる顔ぶれでした。
スイスの会議場の視察のあと、レマン湖のほとりのレストランでランチをとった時のことです。窓際は湖で白鳥が楽しそうに浮かんでいたので、私はランチのパンをちぎって、窓から白鳥に投げてやっていたのです。そうしたら、突然三菱銀行の中村頭取(当時70代後半だったと思います)が、「君はいいなあ」と言うのです。
「僕がスイスに留学した戦前は、日本の地位は低くて、『東洋人のせいで町が汚れる』と言われかねない時代だったから、僕たち日本人はむしろゴミを拾って帰ったものだ。君はのんきに美しい湖にパンを投げ入れているが、そんなことは考えられなかったよ」
と強烈な皮肉。しかも大きな声で。
(そうだ。昔の日本はそこまでけなげに『一流国』をめざして努力してきたのに、俺は何をしてるんだろう)と本当に恥ずかしく、その場にいたたまれなかったことも鮮明な思い出のひとつ。

写真:欧州視察
(左から磯村団長、私、山本泰人山本海苔専務、舛添要一東大助教授(当時))