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第四話  「男は度胸、女は愛嬌?」



 「天下国家」を旗印にしている政経塾にしては、本当に不思議な松下塾長面接であった。が、なぜか合格した。

 1年後くらいに松下さんが、ある週刊誌のインタビューで「塾生選考の基準は何か」の質問にこう答えていた。

 「まず、運のよさそうな人を選ぶようにしています」

「会社などの新しい組織を立ち上げる場合も、運のいい人でないと駄目です。いくら能力があっても、運の悪い人が集まれば失敗することが多いのです。しかし、能力といった点では多少劣っていても、運のいい人が集まると、不思議にうまくいくもんです」と。

 「運のいい人って、塾長はわかるのですか?」とたたみかける記者。

 「そりゃ、わかりまへんわ。しかし、長年何十万人という人をたばねて経営をしておりますと、妙な勘というか、ひらめきがあるものです。それを信じるしかありまへんわな」と松下さん。

 「もう一つの基準は、愛嬌ある人を選びます。大きな仕事は、自分だけの力ではできません。多くの人の知恵や力が集まって達成されるのです。愛嬌のある人は、その多くの人の知恵や力を集めることができます。能力があっても、人から『なんとかしてあげたい』『あの人だった許せる』と思わせるものがなければ、大事業はできません。愛嬌はそれくらい大事なものですな。『男も愛嬌、女も愛嬌』ですわ」

 私ににそんなものが備わっているとは思えないけど、確かに『地盤、看板(華麗な肩書きや経歴)、カバン(お金)』の全くなかった私が、選挙に出ることになったのは、ただただ、ひとつの運だったのだろう。

 昭和59年(1984)の10月のある日、一本の電話が鳴った。出てみると新自由クラブ代表(当時/現在は衆議院議長)の河野洋平代議士からだった。「一度君に会って話がしたい」との内容。もちろん私は、河野さんとは全く面識もないし、テレビでしか見たことがなかった。後日、芝にある河野さんの事務所に出向くと、「来年の都議選に新自由クラブから立候補してほしい」との話だった。「えっ!?」と、予想だにしなかった急な話に当惑しつつ、その場は「考えます」と言って帰ってきた。

 しかし、当時の私の家庭の事情(子供も小さく、翌年には2人目も)や経済事情(全くお金がなかった)は、突然の立候補など許されるはずもなかった。また当時の新自由クラブは結党して8年目で、中曽根連立内閣(山口敏夫労働大臣が新自由クラブから入閣)の一員でもあり、結党時のようなブームは全くなかったし、むしろ「自民と手を組んだ」という批判の方が多かったのだ。私は、電話で河野さんに丁重に、そしてきっぱりとお断りした。

 ところが11月に、再び河野代表からの電話があり、また芝の事務所に出向いた。同じ内容の話だったが、「党としても重点候補として、お金や人の面でも十分協力するから」と、一党の代表から言われ、26歳の私は心が少し動いた。その後、いろんな方々に相談をし、適切なアドバイスをいただいた。厳しい意見も多かった。だが、悩む私の心に決心を与えたのは、当時政経塾の同期生でしかも同室でもある、年長の小西恵一郎さんの一言であった。

 「やるべしですよ。ここ数年の山田さんは勢いがある。仕事もプライベートも。だからこんな時は、ある程度困難があってもチャンスと考えて生かすべき」と言うのだ。

 小西さんの一言で、決心はついた。人生の岐路では、時にある人の一言が重要な意味を持つ時もあるものだ。しかしいまだに、なぜ河野さんがそれまで会ったこともない私に、声をかけたかわからないままではある。たぶん何かに一生懸命、熱意と誠意を持って打ち込んでいれば、「捨てる神あれば、拾う神あり」なんだろう。これもひとつの運かもしれない。

 さて決心はしたが、いざ選挙のための準備に入ると、やはり困難だらけだった。



写真:河野洋平代議士(現衆議院議長)