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第六話  「土下座までして、するもんやない!」



本邦特別公開!27歳の初のポスター


 資金は、底をついていた。かと言って、松下さんのいうような「奉加帳」作戦も、現実的ではないようにも思えた。やはり、ないならないなりに、やるっきゃないのだ!

 実は、7月の選挙までに名前と顔を覚えてもらうために、事前ポスターというのを街中に貼ってきた。そのときの写真は、赤いラグビージャージー姿の「山田ひろし」だった。スポーツスタイルのポスターが当時はショッキングで話題になったが、何も「奇をてらって」そんなポスターを作ったのではなかった。背広の写真も撮ったのだが、表情が硬すぎて「荻窪慕情」を歌う歌手(?)みたいだったので、予備で撮ったラグジャーの写真を使わざるを得なかったのだ。実は今も写真は苦手なんだけれど。(でもモデルの人たちって、なぜあんなにいい表情がつくれるのかな?謎だぁ)

 そこで、「とにかくお金を使わず、顔と名前を覚えてもらうには」ということで、普段の服装もポスターと同じにして活動することになった。朝夕の街頭演説や毎日どこかの街角で繰り返し行ってきた辻説法も、ラッタッタ(原付)に『山田ひろしのタックル演説』と大書したのぼりを立て、ラグビージャージーとパンツ、そしてストッキングやスパイクまで、ポスターそのままの姿で活動を再開した。そして、その他の活動はお金がかかるのでほとんどしなかった。朝から晩まで、ラグビーの出で立ちで演説を続けた。

 このようにお金がなくて始めた『タックル演説』作戦だったが、これには松下さんからのヒントもあった。ある時塾生に対しての松下塾長の講話があった際、私がこんな質問をしたことがあった。

 「街頭で演説をする場合、みんなに聞いてもらうにはどうしたらいいか」と。
 
 幸之助さんは少し考えて答えた。

 「わしもかつて市会議員選挙に頼まれてでたことがあったがな、あの時は一定の税金を支払っている人しか立候補できへんかったから、今とはだいぶ違うな。でもな、いつの時代も人様に自分の考えを聞いてもらうことは大変なことや」

 「そうやな、わしやったらな、まず皿回しを練習するわな。皿回しができるようになったら街に出て、皆の前で披露する。皆が集まってくる。そこでわざと失敗して皿を割ってしまうんや。皆が驚いているとこで『みなさん、私は今考え事をしていて皿を割ってしまいました。その考え事っていうのをしばらく聞いていただけませんか』ともっていく」と。

 この『皿回し』を『ラグビースタイル』に直接つなげた訳ではないが、この『皿回し』論は、松下さん流の人情の機微をのとらえ方として、私の心に強い印象を与えていたことは確かだっただろう。

 このラグビースタイル作戦は、一部のマスコミにもインパクトを与えた。まず夕刊フジが一面トップで紹介してくれた。無名の立候補者にとって、これは本当にありがたいことだった。次に写真週刊誌『フライデー』からも依頼が来た。取材場所は六本木、ラグビー姿でという。なんか変な予感はしたが、事務所のスタッフも「とにかく名前を売るのが先決」と私を送り出した。

 頭の先から足下までのラグビー姿で(地下鉄では恥ずかしかった)、待ち合わせ場所の六本木交差点に来てみると、私の他に2人の方が取材をされることがわかった。一人は「ぴあ」の創立者の湯川憲比古さん、そしてもう一人は元祖ジャニーズの小坂まさるさんだった。実は私たち3人を、都議会異色候補として取り上げるということらしい。最初は3人で肩を組んだりしてカメラにおさまっていたが、「交差点を3人で歩いて、山田さんはタックルのポーズで、小坂さんはダンスのジャンプで」などと言われて、妙な撮影会になっていった。そして、その妙な感じの写真が掲載されたのは、その1週間後だった。

 その週刊誌が発売された4月下旬の日の昼、事務所の電話が鳴った。出てみると、松下さんの秘書課長からだった。

 「塾長がご立腹です。『あんなことまでして選挙をすることはない。土下座してまでして勝つ必要はない』と伝えるようにということです!」

 私も、スタッフも、みんな真っ青になった。