
大学時代のラグビー姿
松下幸之助塾長のお叱りは、事務所を凍りつかせたが、さらにラグビー協会の関係者からも「ラグビーを政治や商売に使うな」という強いクレームが来た。特に京大のラグビー部の大先輩で、関東ラグビー協会の石黒会長(故人)からは直接、石黒さんが社長をつとめるクレッセントハウスというフランス料理屋さんの社長室にまで呼び出され、しぼられにしぼられた。

今は大きく変わったが、当時はラグビーというスポーツには、そのアマチュアリズムを最も大切に守り続けてきたというところに自負と誇りがあったと思う。だから、日本代表で名スタンドとされた松尾雄次さんが、ファッションモデルになっただけで協会を除名されたり、今も慶応の監督をつとめる上田昭夫さんがキャスターになっただけで文句が来たようだ。まして政治となると。でも、「ラグビージャージーはラグビー協会の私物だろうか?世界で使われ、本場のイギリスではプロ選手も生まれてきているのに」と、私は不満に思っていた。
そんなことがありながらも、私のラグビースタイルの辻説法は、4月から7月の選挙まで続けた。ただやはり区民の反応はほとんどなかった。この手応えのなさが、日一日と憤りと焦りを増幅していく。
唯一、子供たちの中では、確実に人気と知名度が高まるのを感じた。小学校の前をラッタッタ(原付)で通ると、校庭にいる児童が「わっ、ヤマダヒロシだ」と叫んで集まってくるし、手を振る子供もいた。住宅の十字路で演説をしていると、下校途中の中学生たちが「握手してください」と寄って来た。毎日のように「有権者ではない」子供たちからは励まされるのだが、有権者は無反応だった。
選挙後に聞いたのだが、朝や夕方の駅頭での演説を見て、「なんでラグビークラブの勧誘を毎日やってるんだろう?」って疑問に思っていた人が、少なからずいたらしい。これも選挙後の話だが、子供たちを通じて、初めて『ヤマダヒロシ』の名を聞かされた親も多かったようだ。
しかし、やはり演説の内容が心を打たないから、話し方、訴え方が下手だから、私の演説にみんなが無反応、無関心だということは、自分でも痛いほどよくわかっていた。そしてその手応えのなさが、演説をますます空回りさせる。空回りすればするほど、人様はどんどん無視する。こんな悪循環にさいなまれる毎日だった。はっきり言って、朝から晩までの辻説法作戦がだんだん苦痛になっていった。
森重隆ラグビー日本代表が都議選の応援に駆けつけてくれた