Japanist
私が目指す、日本の姿

日本を知ることで、日本人としての誇りを醸成する。

志誌『Japanist』23号(2014年10月25日発売)に掲載された、山田宏の連載インタビュー Vol.1。

Japanist Interview

この素晴らしい国・日本を、天分が花開く、自由の国へ

人間の幸福とは何か

髙久 多美男(Japanist編集長 以下:高久)

 二〇〇九年、山田さんが著された『「日本よい国」構想』は、政治の理念書として他に比類がないと思えるほど完成度の高いものだと思っています。何のために政治家を志したのか、これから何をなすべきかという本質的なことが理路整然と書かれていると思います。今でもこの理念に変化はありませんか。

山田 宏(以下:山田)

 もちろんです。

髙久

 山田さんは、具体的な政策を論ずる前に、まず、「人間とは何か」「何が人間にとって幸福か」ということに言及していますね。

山田

 私は杉並区長時代、小・中学校の卒業式の挨拶で、よく次のような話をしました。「みんな、なんで勉強するの? なんでいい学校に行こうとするの? 将来高い地位を得たいから? お金持ちになりたいから? たしかにそれもいいかもしれないけど、もっと先を考えてみようよ」と。

 つまり、どうなることが自分にとって幸福なのか、そもそも自分とはどういう存在なのかということを抜きに勉強を続けても、結果的にその人が望んでいない人生になってしまったり、その人の能力が発揮されないままに終わってしまうのではないかと思うのです。人間の幸福にはいくつかの段階がありますが、もっとも尊いのは、自分が誰かの役に立っているということを実感することではないでしょうか。たった一人でもいい、誰かを幸せな気持ちにさせる。それが大きな喜びにつながるし、自分の存在価値を実感できる有効な方法だと思っています。一生涯、自分のことしか考えない人生なんて寂しいだけでしょう? 

髙久

 それはご自身の体験によって得た人生観ですか。

山田

 そうですね。私の家は両親とも働いていて、都営住宅に住んでいる普通の家庭でした。けっして楽な経済状態ではありませんでしたが、留守をしている時、驚くようなことをして喜ばせようかと兄弟たちと話し合い、実行したことが何度かあります。すると、母親が「まあ、すごいじゃない」と言って喜んでくれたり、普段、謹厳実直であまり笑わない父親がニコッとしてくれたりして家の中が明るくなるんです。子供ながらに、自分ができることをして誰かに喜んでもらうのはとても幸せなことだとわかりました。

髙久

 マズローの欲求五段階説の最上位は自己実現の欲求となっていますが、彼は亡くなる前、もうひとつ上のレベルがあることがわかったと弟子に語ったそうです。それは、他者のために尽くすこと。つまり、利他の精神です。日本人からすれば、「なーんだ、そんなことに気づくために六〇年以上もかかったのか」と驚きます(笑)。

山田

 もうひとつ人間の幸福の条件に付け加えさせていただくと、次のようなことを認識する必要があると思います。「歴史を背負って立つ」という縦軸と「社会を背負って立つ」という横軸の中心点に自分が存在しているということです。縦軸は言うまでもありませんね。自分、両親、そしてその先の祖先へと遡るすべての人、そしてその人たちを育んでくれた社会という歴史軸です。その中のたった一人が欠けても自分は今ここにいないのですから。まさに「いのちの連鎖」の先に私たちは生きているのです。もうひとつは、時を同じくして生きている現代の人たちへの認識です。食べるものにしても着るものにしても、じつに多くの人のおかげで私たちは生きることができるのです。そういった、縦軸と横軸の中心にいるという認識が持てたら、腹の底から力が出せます。そして、自分はなんて幸せなのか、誰かのためになんらかの恩返しをしなきゃって思うでしょう。ですから、家庭においても学校においても、常にそういうことを教えていく必要があるのです。

過保護にすると天分が見えにくくなる

髙久

 それは、人間がなぜ生まれてきたのか、という問いにもつながりますね。

山田

 そうです。どんな人にも両親がいて、そのまた両親がいる。では、どこまでも遡っていったら、いったいどこに行き着くのか。その大本は何なのか。そう考えると、人智を超えた偉大な力というものを考えざるをえません。

髙久

 筑波大学の分子生物学者・村上和雄さんは、それをサムシング・グレートと呼んでいますね。

山田

 そうですね。天でも神でもサムシング・グレートでもいいのですが、要するに人智を超えたそのような存在が、この世に無駄な生き物、無駄な人間を創るはずがないということです。地球上に七〇億人以上の人間がいますが、一人として同じ顔の人がいないという事実がそれを物語っています。つまり、一人ひとりに生まれてきた意味があるのです。天から、「おまえしかできないことをやってみろ」と遣わされてきたといってもいいでしょう。それを私は天分と呼んでいます。

髙久

 どんな人にも特有の天分がある。それを聞けば、勇気を得ますね。しかし、自分の天分を生涯、見極められないというケースも少なくないと思います。どうすれば自分なりの天分を見極めることができるのでしょう。

山田

 大きく分けて、二つあると思います。ひとつは好きなことをとことんやってみること。料理が好きならとことん料理をやってみる。趣味が仕事になるのであれば最高ですね。もうひとつは、今、いろいろ悩んでいるとしても、自分の置かれている場所で、目の前の仕事を徹底してやってみることです。人の三倍くらいやる。自分が取り組んでいるものを最高の状態に磨き上げる。すると、必ず結果がでます。その時に何かが変わっているはずです。そして、社会の中でできることの選択肢も広がっているはずです。そういうことをしないで、ちょっとやって辞めてしまうという繰り返しだとしたら、一生自分の天分に気づくことはないでしょう。ひとつ、はっきり言えることは、過保護にしてしまうと天分が見えにくくなるということです。

髙久

 だからこそ、バラマキだけの政治は国民の天分を発揮させないんですね。山田さんが『「日本よい国」構想』で、「政治とは国家の命運を拓き、国民の幸福を実現するための、崇高な国家経営である」と書かれた理由がよくわかりました。

真に自由な社会とは

髙久

 それぞれが持っている天分が発現しやすい社会とはどういうものですか。

山田

 私は大きく分けて三つの要素があると思っています。ひとつは、自由な社会であること。二つ目は、野放図な自由ではなく、責任が伴った自由であること、そして三つ目は相互尊重です。

 まず、自由な社会についてお話ししましょう。人間と動物の違いは、自由意思があるかどうかです。動物は本能にしたがって生きていますが、人間はそうではありません。自由意思というものがあり、それを良い方面にも悪い方面にも使っています。例えば、肝臓が悪くなっているからお酒を飲んではいけないと医者から止められていても、飲んでしまう。これは自由意思によるものです。自由意思をもった人間は、その他の人たちと共同社会をつくることによって発展を遂げてきました。自分が自由に思い描いたことを自由に実現し、それが社会に活かされる。その繰り返しの中で人類は発展してきました。しかし、反対に自由がない社会においては、個人個人の天分が発揮されにくく、結果的に誰かに依存したり、他人の足を引っ張ったり、妬みやそねみだらけの社会になり、やがて行き詰まります。

髙久

 東西に分断されたドイツが、その後、どういう国になったかを見れば、そのことは一目瞭然ですね。西ドイツではメルセデスやポルシェをつくり、片や東ドイツでは日本に持ってきても公道を走れないトラバントをつくりました。どちらも優秀なドイツ人がつくったものです。

山田

 私はちょうどソ連が崩壊する一年前、一九九〇年にモスクワに行ったのですが、ホテルのバーに行くと、同じ透明の瓶しかありませんでした。中身はそれぞれ違うのに、瓶は同じだったのです。次にハンガリーに行くと、瓶の種類が増えていました。ハンガリーは東欧の中でも自由主義に近い国でしたからね。その後、パリへ行くと、瓶の種類はまさしく百花繚乱ですよ。それが自由な社会がもたらす結果というものです。どれを選ぶか、消費者にも自由があります。片や共産主義は、医療費も福祉もタダでみんな平等。一見するとユートピアに思えますが、問題はそれを達成するための方法です。これがおぞましいわけです。ダンテが「地獄への道は美しく舗装されている」と言いましたが、まさしく言い得て妙ですね。役人が勝手に規格も数量も価格も決めてしまい、国民はそれに従うだけ。これをやればやるほど経済は疲弊します。結果は格差、弾圧、貧困と、無残な状態になってしまいました。

髙久

 これだけ結果が歴然と出ているにもかかわらず、いまだに党名に「共産」の二文字を掲げているのは、いったいどういう精神構造なんでしょうね(笑)。

山田

 よほどおめでたい理想家か、なにもかもわかっている権力亡者かですかね(笑)。

髙久

 ところで、なんでもかんでも自由にしていいというわけではありませんね。

山田

 もちろんです。野放図な自由は、自らの自由を侵すことにもなります。スポーツもルールがあって成り立つように、私たちの社会もそうです。ただし、なんでもかんでも規制すればいいというものではありません。自由を阻害することになるからです。私たちの知恵と努力は、いかに規制するかではなく、いかに公正な市場をつくるかに向けられるべきです。公正な市場は、すべての人を平等に扱う唯一の仕組みであり、なおかつ社会の腐敗を抑止する浄化装置でもあるのです。

髙久

 そして、三つ目の相互尊重につながるのですね。

山田

 そうです。公正な市場をつくって維持するには、互いに尊重し合わなければなりません。これは自明の理ですよね。それから、自由そのものには精神的な自由と経済的な自由があるということも忘れてはなりません。人間誰しも食べなければ生きていけませんし、食べるだけで汲々としていたら、誰かに隷従しなければならなくなり、自らの天分を活かすことが難しくなってしまうということです。そのためにも、個人に富が蓄積される社会でなければなりません。頑張った人に富が残らない社会は、必ず行き詰まります。現在は経済の国境がないに等しいわけですから、優秀な人や会社は富が残る国へ移っていきますよ。残された人や会社は大きな富を生み出せないのですから、社会そのものがなりたたなくなります。

髙久

 富が個人や会社に残る社会をつくるということについては、あらためてお聞きしたいと思います。

日本文明の根っこ

髙久

 先ほどおっしゃっていた歴史軸を認識するためにも、自分たちが生まれた国、つまりこの日本の国柄を知るということが必要ですね。日本の素晴らしさとは何でしょうか。

山田

 ある民主党の議員が「私は保守です」と言うので、「なんで君が保守なの」と訊いたら、「私は渡辺京二の『逝きし世の面影』をバイブルにしています。あのような日本を取り戻したい、だから保守なのだ」と。私は彼にこう言いました。「あなたの言う渡辺京二先生の世界はたしかに素晴らしいと思うが、それは日本文明の花や葉っぱです。なぜ、あのようなものが生まれてきたのか、その奥にある根っこや幹を見てごらんなさい」と。日本文明の根っこ、それは皇室の存在と日本語、神社だと思っています。日本文明の核といえるものはこの三つで、他はすべてといっていいくらい外から入ってきたものです。特に日本の特殊性は、皇室という日本の中心的ファミリーが古来から続いてきたということです。日本の祝祭日の三分の二は皇室行事です。東日本大震災の時を思い起こしていただいてもわかりますが、日本人は未曾有の危機に瀕しても天皇の存在によって力を合わせ、乗り越えることができるのです。天皇は日々、国民の幸福を願っていますが、そのことを疑う人は誰一人いないでしょう。『万葉集』の中に山上憶良の歌があります。「そらみつ大和の国は皇神の巌しき国 言霊の幸う国と語り継ぎ言い継がいけり」という歌ですが、日本は万世一系の天皇の皇祖の神々が厳かに護る国だと語り継がれているという意味です。そう歌われてからすでに一二〇〇年以上が過ぎていますが、いまだにその本質は変容していません。

髙久

 日本は今年、皇紀二六七四年。それほど長い間、国体が変わっていないというのは奇跡と言う以外ありません。そもそも一〇〇〇年以上続いている国は、世界広しといえど日本とデンマークだけです。中国四千年の歴史といいますが、中国では為政者が変わるたびに歴史が断絶しています。

山田

 それほど素晴らしい歴史をもつにもかかわらず、日本は戦後一貫して自国の歴史を貶める教育をしてきました。こんなに素晴らしい歴史をもつ国であるのにです。もし、自分が生まれた国に対して誇りをもてないとしたら、その国民はほんとうに不幸です。国を誇れないということは、自分たち自身を誇れないということと同じだからです。自分に誇りをもてない人間が、どうして幸せになれるでしょう。また、人のために頑張ろうと思えるでしょう。私は国民一人ひとりが自らの天分を発揮し、社会がより良くなるためにこそ政治の役割があると思っています。

 

●森 日出夫:撮影

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