山田宏の公式ブログ
山田宏の公式ブログ

山田宏の公式ブログ「やまぞーが行くぞー」公開中!
政治に関する考えから、日々の気づいた事柄まで何でもご紹介致します。

Blog

動かぬ証拠の一例【竹島は日本の領土】
2018.03.02

1905年の2月22日、閣議決定を経て島根県知事が管轄にあることを告示した。

日露戦争以前の1899年に大韓帝国が発行していた地理教科書「大韓地誌」には、大韓帝国の東端を東経130度35分と記しており、竹島(東経131度52分)は含まれていなかったし、また「日本海」と単独表記していた。

なのにわが国が敗戦し占領下にあった1952年、韓国が突如一方的に占拠した。

私が南京攻略戦はあったが、南京「虐殺」はなかったとする理由
2017.12.21

【私が南京攻略戦はあったが、南京「虐殺」はなかったとする理由】

①当時の南京安全区国際委員会の報告(中国国民党監修)では、南京攻略戦前と1カ月後の人口が20万から25万人に増加していること。
虐殺が行われていれば増えるはずがない。

②「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要1938〜1941」によると、南京攻略戦の12/13の前1937年11月から1年間に、国民党はほぼ毎日の300回にわたって、外国人記者会見を行っているが、一度も虐殺事件に言及していないこと。
虐殺があれば大宣伝するのが中国なのに。

③当時沢山いた南京駐在欧米記者の虐殺の記事がないこと。
目を引くのは、ニューヨークタイムズ紙とタイムズ紙が、1938年1月28日から連続4日間「日本兵による米国大使館員平手打ち事件」を大々的に取り上げた事くらい。「平手打ち事件」でも大ニュースになるのだから、虐殺などなかった。

④「南京虐殺」なるものを報告した宣教師ベイツやフィッチ、また著書に書いたティンパーリ記者(上海にいて南京にはいなかった)は、国民党顧問であったか、国民党からの資金など何らかの物心両面の援助を受けていたことが明らかになっていること。
つまり国民党の宣伝に一翼を担っていた。

⑤南京攻略戦に参加した日本兵や、当時南京にいた日本人からの虐殺証言はゼロであること。
軍が箝口令を引いたミッドウェー敗戦すらすぐ漏れていたのにだ。
むしろ河村名古屋市長のお父上のように、南京市民とはとても和やかな状況で、かの朝日新聞も南京市民と日本兵の微笑ましい記事ばかりだ。

⑥「南京虐殺」の証拠とされるものは、全て中国側の証言と写真なるものばかり。
証言には裏付け証拠は何もなく(慰安婦証言と同じ)、写真については東中野修道先生の綿密な調査で、偽造写真か、南京以外の戦争写真か、馬賊の写真であることが明らかになっている。

⑦中国が東京裁判に提出した、当時の埋葬団体紅卍会4万人と崇善堂11万人の埋葬記録について。
崇善堂は当時埋葬活動をしていなかった事実が中国側の明らかになっていて、捏造記録である。

また、紅卍会が南京城内で処理した死体数は1793体と記されているが、これは当時(1938年4月)の大阪朝日新聞南鮮版の報道記事にある死体処理数1793体とピタリと一致し、日本軍の南京入城後に存在した死体数(戦闘によるものか、巻き込まれたものかはわからない)として信頼おける数字。

これが南京の真実。

http://www.sankei.com/politi…/…/171214/plt1712140010-n1.html

刀剣と和鉄文化の伝承を
2017.12.03

島田二郎元安来市長のお招きの講演で島根県へ。
昨日は奥出雲の「たたら製鉄所」を訪ね、今ではただ1人の村下(むらげ〜たたら製鉄の最高職人)の木原村下にお会いした。
たたら製鉄とは、古来からのわが国独自の製鉄法で、砂鉄と木炭を粘土で固めた炉の中で3日間燃やし続けて鉄の塊(和鉄)を作るもの。
あの「もものけ姫」で、女たちがふいごの板を踏んで火を起こしている場面のあれだ。
たたらの鉄の一番高級な部分を玉鋼(たまはがね)といい、硬くて粘りが強く、中まで錆びない特質があり、昔から日本刀の大切な原材料として珍重されてきた。

最近は「刀女子」と言われる女性の間で日本刀が人気だ。
海外では居合いブームで、日本刀への関心が高まっている。
しかし日本の刀鍛冶が作れる刀の数を年間24振りまでと、事実上制限しているために、世界で中国産やタイ産の日本刀まがいが横行している。
これは憂慮すべき事態だ。
これではメイド・イン・チャイナが、日本刀の標準ブランドになりかねない。
日本で刀というと「危ない」という反応が一番多いが、刀剣は日本の文化にとって必須の工芸品だ。
代々天皇継承の象徴である三種の神器の一つは刀剣だし、今でも皇室に皇子様が誕生されると短刀を贈る伝統が続いている。
また伊勢神宮の式年遷宮の度に、古来から百数振りの刀剣が新しく奉納されきた。
明治までは、刀剣がわが国の最大の輸出工芸品の一つだったし、現在の国宝約1200点の中で、写本を除けば刀剣が約110件と最も多い。
しかし明治の廃刀令以降、刀鍛冶数も激減し、敗戦後の占領期に刀剣は米軍に目の敵にされて、刀剣制作技術の伝承が途絶えかかったが、今日約200人の刀匠が頑張っている。
美術品としての刀剣は、奥出雲のたたら製鉄で生産される玉鋼無くして存在できないだけでなく、刀剣は研ぎ師などの仕事や、鞘や漆、鍔や飾りや紐などの刀装の職人芸を支えてきた。
さらに和鉄を使った和釘は、今の洋鉄と違って芯まで錆びないために、法隆寺や仏像などの数々の木造物を長年維持してきた。
刀剣と和鉄の文化をしっかり伝承していくことが、日本の文化の伝承にとって極めて大事だ。
そこで思いを共有する議員で、刀剣と和鉄文化を伝承する議員連盟を、来年早々に立ち上げて貢献したいと考えている。

 

Blog topics【最新のブログ記事を20件表示しています】

このページのトップへ