山田宏の公式ブログ
山田宏の公式ブログ

山田宏の公式ブログ「やまぞーが行くぞー」公開中!
政治に関する考えから、日々の気づいた事柄まで何でもご紹介致します。

Blog

「殉国七士廟」参拝
2018.09.10

今年も愛知県三ヶ根山「殉国七士廟」を参拝。ここに、東條英機元首相ら東京裁判で絞首刑となった7人の方々のご遺骨が葬られている。

昭和35年にこの地で盛大な葬儀が催された。

  

 

昭和天皇は、昭和54年5月に愛知県豊田市で開かれた全国植樹祭に行幸された折、わざわざ遠い三ヶ根山のグリーンホテルに宿泊された。翌朝6時に天皇皇后両陛下は、部屋の窓際にお立ちになり、三ヶ根山山頂に向かって15分間じっと頭を下げられていたそうだ。

 

 

独立回復後の短い期間で、全国の約4千万の国民の署名が集まり、処刑された方々も含め全て「戦犯」の名誉回復が国会決議によって行われた。そして戦犯とされた重光葵は外務大臣に、賀屋興宣は法務大臣になっているし、処刑された7人の方々も「公務死(戦死)」である。わが国に「戦犯」など存在しない。

動かぬ証拠の一例【竹島は日本の領土】
2018.03.02

1905年の2月22日、閣議決定を経て島根県知事が管轄にあることを告示した。

日露戦争以前の1899年に大韓帝国が発行していた地理教科書「大韓地誌」には、大韓帝国の東端を東経130度35分と記しており、竹島(東経131度52分)は含まれていなかったし、また「日本海」と単独表記していた。

なのにわが国が敗戦し占領下にあった1952年、韓国が突如一方的に占拠した。

私が南京攻略戦はあったが、南京「虐殺」はなかったとする理由
2017.12.21

【私が南京攻略戦はあったが、南京「虐殺」はなかったとする理由】

①当時の南京安全区国際委員会の報告(中国国民党監修)では、南京攻略戦前と1カ月後の人口が20万から25万人に増加していること。
虐殺が行われていれば増えるはずがない。

②「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要1938〜1941」によると、南京攻略戦の12/13の前1937年11月から1年間に、国民党はほぼ毎日の300回にわたって、外国人記者会見を行っているが、一度も虐殺事件に言及していないこと。
虐殺があれば大宣伝するのが中国なのに。

③当時沢山いた南京駐在欧米記者の虐殺の記事がないこと。
目を引くのは、ニューヨークタイムズ紙とタイムズ紙が、1938年1月28日から連続4日間「日本兵による米国大使館員平手打ち事件」を大々的に取り上げた事くらい。「平手打ち事件」でも大ニュースになるのだから、虐殺などなかった。

④「南京虐殺」なるものを報告した宣教師ベイツやフィッチ、また著書に書いたティンパーリ記者(上海にいて南京にはいなかった)は、国民党顧問であったか、国民党からの資金など何らかの物心両面の援助を受けていたことが明らかになっていること。
つまり国民党の宣伝に一翼を担っていた。

⑤南京攻略戦に参加した日本兵や、当時南京にいた日本人からの虐殺証言はゼロであること。
軍が箝口令を引いたミッドウェー敗戦すらすぐ漏れていたのにだ。
むしろ河村名古屋市長のお父上のように、南京市民とはとても和やかな状況で、かの朝日新聞も南京市民と日本兵の微笑ましい記事ばかりだ。

⑥「南京虐殺」の証拠とされるものは、全て中国側の証言と写真なるものばかり。
証言には裏付け証拠は何もなく(慰安婦証言と同じ)、写真については東中野修道先生の綿密な調査で、偽造写真か、南京以外の戦争写真か、馬賊の写真であることが明らかになっている。

⑦中国が東京裁判に提出した、当時の埋葬団体紅卍会4万人と崇善堂11万人の埋葬記録について。
崇善堂は当時埋葬活動をしていなかった事実が中国側の明らかになっていて、捏造記録である。

また、紅卍会が南京城内で処理した死体数は1793体と記されているが、これは当時(1938年4月)の大阪朝日新聞南鮮版の報道記事にある死体処理数1793体とピタリと一致し、日本軍の南京入城後に存在した死体数(戦闘によるものか、巻き込まれたものかはわからない)として信頼おける数字。

これが南京の真実。

http://www.sankei.com/politi…/…/171214/plt1712140010-n1.html

Blog topics【最新のブログ記事を20件表示しています】

このページのトップへ