山田宏の公式ブログ
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山田宏の公式ブログ「やまぞーが行くぞー」公開中!
政治に関する考えから、日々の気づいた事柄まで何でもご紹介致します。

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「稲むらの火」の舞台
2011.02.24

和歌山県で訪ねたもうひとつの場所は、「稲むらの火」の舞台となった広川町(旧広村)です。

 

ところで皆さんは、「稲むらの火」の話は知ってますか?

 

実を言うと、私は小泉さんの首相時代のブログで初めて知ったのです。

マレーシアのクアラルンプールでインド洋の大津波に関する会議で、小泉首相(当時)がシンガポールの首相から「あの日本の『稲むらの火』の話は実話ですよね」と尋ねられたのに、小泉首相は「稲むらの火」の話を知らなくて答えられなかったという内容。

 

「稲むらの火」の話とは、安政元年(1854)11月に起きた大地震に伴う大津波に際して、この広村の庄屋であった浜口梧陵という人が、自分の田んぼで刈り取ったばかりの穂のついた稲(稲むら)に火をつけて、村人たちを救ったという実話に基づくお話です。この実話に感動したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、明治期に「生き神さま(Living God)」という題で全世界に紹介したので、世界に知られるようになったわけです。

その「生き神さま」の話は、「稲むらの火」という題で戦前の国語の教科書に載っており、戦前の教育を受けた人は知っている人が多いのですが、戦後はなぜか立派な日本人たちの話が教科書から消えてしまい、戦後の教育を受けた小泉首相や私などは知らなかったということですね。

 

戦前の国語教科書に載っていた「稲むらの火」は、ここを読んでみてください。

 

http://www.inamuranohi.jp/inamura/in00.html

 

ところで、「稲むらの火」の主人公である浜口梧陵さんはヤマサ醤油の7代目当主でもあり、津波被害を受けた広村の再建にも私財を投じて尽くしました。写真は私財を投じてつくった長さ650m、高さ5mの広村堤防です。

 

浜口梧陵さんには8人のお子様があり、末っ子の方は浜口担という方で、大学教授になりました。その浜口担先生が確か日露戦争の前後に英国のジャパン・ソサイエティというところで、英国人を対象に江戸期の女性史といったテーマでお話しになられたことがあったそうです。

 

講演のあとにいくつか質問を受けたのですが、最後に妙齢な英国の女性が手を挙げて、「今日のテーマに関わらない質問ですが、私は『浜口』というお名前に強い印象を持っています。それは『生き神さま』のお話の主人公も浜口だからです。同じ名字の方は多いと思いますが、『生き神さま』の主人公と先生とは何かご関係がありますか」と質問されたというのです。

 

浜口担先生は、この遠いロンドンでまさか自分の父親の名前をこういった形で聞くとは予想もしていなかったので、感極まって涙が落ちるのを止められなかったそうです。

びっくりした司会者は、この講演者のもとに寄り添い涙の理由を問うと、

「その浜口は、私の父です」

とぽつり。そして司会者は席にもどって

「その浜口氏こそ、この浜口先生のお父様でいらっしゃいます」

と来場者に紹介したのです。

来場者はそれを聞いて、一斉に立ち上がり拍手が鳴り止まなかったそうです。

 

私たちの国には、このような立派な行いをして世界の中で礼賛されてきた先人たちが沢山いるのですが、戦後の日本の教育は、自虐的な風潮の中、あえて「立派な日本」ということを伝えることを隠してきた面があると思います。

エルトゥールル号殉難の地を訪ねました
2011.02.21

この日曜日を使って、やっと一度は行ってみたいと思っていた二つの場所を訪ねることができた。どちらも和歌山県だ。

 

ひとつは、トルコ軍艦「エルトゥールル号の遭難の悲劇」となった、和歌山県串本町の大島の突端にある樫野崎灯台にあるトルコ記念館だ。

 

1890(明治23)年9月、表敬訪問を終えて帰路についたトルコ軍艦「エルトゥールル号」が、台風によってこの場所で座礁し650名の乗組員のほとんどが死亡した。当時では世界最大の海難事故となった。

 

9月16日夜半、写真にも見える岩場「船甲羅(ふなこうら)」(岬の手前にある平たい岩礁)という場所で同艦は座礁した。何とか泳ぎきった者が岸壁をよじ上り、灯台守に助けを求め、初めて遭難がわかった。夜半から翌日にかけての暴風雨の中での村をあげての救助作業は困難を極めたが、300名以上を引き上げ、そのうち69名が助かったのだ。

 

大島の村をあげて、台風のために保存していた穀類や鶏など全てを供出しての救援活動は、当時のオスマン・トルコの国民を感動させ、教科書にも紹介され、末長い日本とトルコの友好の礎になってきた。

 

100年ほどたった1985年、イラクのフセイン大統領がイラン・イラク戦争に際し、「今から48時間を期限に、イランからの飛行機は撃墜する」と宣言。在イランの邦人たちが取り残されたときに、彼らを救いにトルコが自国の航空機を派遣してくれたのは、このエルトゥールル号の時の日本人たちの恩義に報いるためでもあったとは、当時のトルコ大使の言葉だ。

 

当時の大島の人々の献身にも頭が下がるが、それを100年たっても覚えていて、その恩義を返そうとしたトルコの政府や人々も偉いと思う。

TPP(環太平洋経済協定)は日本主導で進めよ
2011.02.17

 

ワシントンを訪問してきました。(写真はダニエル・イノウエ上院議員)

毎年、様々な政治家や政策担当者と意見交換を続けてきています。なぜなら、日本の国益のためにも米国はいまだ大事な国であり、昨今はとりわけ中国マネーや人脈の影響をワシントンが受けやすいと感じているので、日本の主張を何とか言い続けなければと考えているからです。

 

さて、ワシントンで米国の政策担当者たちの関心事は、貿易についてはTPP(環太平洋経済協定)より韓国とのFTA(自由貿易協定)にあります。日本で考えられているような、「米国の押しつけ」という印象はありませんでした。FTAも物やサービスの関税を相互に撤廃していこうとする取り決めで、韓国は昨年、EU(ヨーロッパ共同体)とFTAを結び、今度は米国との締結を進めています。

 

実はこんな話を聞きました。昨年韓国とEUでFTAが締結されると、韓国内でオレンジジュースを製造していたコカコーラが、オレンジの輸入をこれまでの米国フロリダ産から、FTAで関税がゼロとなったスペイン産に変えてしまって、フロリダのオレンジ産業が打撃を受けることになったというのです。それで米国は大慌て。

 

ところで、同じように米韓のFTAが成立すれば、米国向けの韓国製家電や自動車の関税がゼロとなり、米国での日本の製品の競争力が弱くなり、ますます売れなくなるだろうと予想されます。私たちにとっては、米韓FTAは他人事ではないのです。

 

TPPに対しては、農業分野や法曹などのサービス分野まで、かなり強い反対があることも承知しています。またわが国が受けるであろうメリットについても、いろいろな意見があることも知っています。

しかし自由貿易圏を広げようという流れは、もはや止めることのできない世界の潮流になってきていることも事実で、もし日本がこの流れに乗ることをためらい続ければ、日本の国際競争力はどんどん低下し、その結果税収が減って年金や医療財政が破綻するだけでなく、充実を求められている防衛力も弱体化して、他国の侮りや侵略を受けることになりかねません。

 

物やサービスを世界に売って豊かになった日本には、自由貿易の先頭に立つことしか繁栄の道がないことを知るべきです。TPPについても、参加条件をあれこれつけてしぶれば、当初の参加国でルールが決められかねず、日本は不利益な条件でしぶしぶあとから参加せざるを得なくなるでしょう。

 

私は、まずはTPPへの参加を表明した上で、参加表明国で徹底的にルールづくりの議論をし、まさに日本主導でルールづくりを進めるくらいでなければならないと考えます。日本にとってのコメなどの困難な分野は、どこの国も抱えています。例えば米国では自動車産業界やオレンジや砂糖業界は、基本的にTPPに反対です。だから原則参加して、中でどんどん交渉する余地はあるのです。また仮に日本の意見がまるで反映されないことがあれば、その時に脱退するか否かを判断すればいいと思います。

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