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山田宏の公式ブログ「やまぞーが行くぞー」公開中!
政治に関する考えから、日々の気づいた事柄まで何でもご紹介致します。

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「南京事件はなかった」
2012.02.22

名古屋市長の河村市長が、当地を訪れた友好都市の中国南京市の代表団に述べた「南京事件はなかった」という発言は、名古屋と南京の交流中止に発展した。

 

河村市長は、この勇気ある発言を断固貫き、この際ぜひ中国や南京市に公開討論会を申し込んでほしい(その時は、私も「参戦」しよう)。

(おそらく公開討論会を彼らは拒否するだろうけど)

 

河村市長は、就任時にも「南京虐殺はイリュージョン(幻想)」と発言しているが、それは事実をよく踏まえると正しい発言だ。

 

まず、「南京事件」なるものが、初めて!国際社会で取り上げられたのは、それが起きたとされている1937~38年ではなく、それから9年もたった日本敗戦後の東京裁判の時だ。それまでは、ごく少数の戦争宣伝を除けば、次の歴史文書が示すように全くと言っていいほど国際社会には登場しない。30万人も虐殺されたなら、当時から大問題になってなければおかしい。

南京は当時の中国の首都。日本の南京占領時にもたくさんの外国人記者がいたのだから。

 

 

次に、国民党政府国際問題研究所監修の1939年発行の「南京安全区公文書集」(Documents of the Nanking Safety Zone)によれば、日本軍が南京を占領した1937年12月における南京の人口は約20万人だが、それから1ヶ月後の38年1月14日の人口は約25万人と記されている。虐殺が行なわれたとされているのに、人口は減るどころか増えている。それは、日本軍が市内の治安を保っていることがわかって、逃げた人口が戻ってきたことを示しているのではないか。これは当時の中国側の資料だ。

 

また、台湾の台北にある国民党党史館に納められている「国民党宣伝部国際宣伝工作概要1938~1941」の記載は、日本が南京占領する1937年12月1日から1938年10月24日までの11ヶ月間に漢口で300回にもわたって、国民党による外国人記者会見が行なわれたが、ただの一度も南京での虐殺に触れられていない。南京で日本軍による虐殺があれば、触れないのはおかしい。

 

さらに、当時の在日米国大使館付武官であったキャボット・コーヴィルが、1938年5月2日に本国に送った「南京調査報告」では、次のように記載している。

「南京の安全区は幾分とるに足らない問題もあったが、(日本軍は)ほぼ満点の配置だった。それとは対照的に大事なことは、中国兵が安全区を尊重しなかったことだ。多くは軍服を脱ぎ捨て安全区に避難した」

当時も今も、軍服を脱いだ軍人は、国際法の保護を受けない。軍人が捕虜として保護を受けられるのは、きちっと軍服を着ている場合であり、そうでない場合不審な行動をとれば射殺されてもやむを得ないのだ。

 

「南京事件」なるものが、初めて国際社会に登場したのは、1946年から始まった東京裁判である。その時に「証拠」として提出された写真は、東中野修道氏の研究によってすべて証拠能力がないと証明されている。

 戦争は武力だけでなく、「相手が悪い」という宣伝戦を展開するものだ。特に孫子の国のシナ民族は、これが得意だ。東中野氏が証明したこれらの写真は、ほとんどすべてが戦争中日本軍の「蛮行」を印象づけるためにつくられた偽造写真のたぐいで、これらの写真が南京の「虐殺記念館」に飾られている。

 

米国は、広島と長崎に原爆を落とし、また無防備の日本の諸都市に焼夷弾の雨を降らして、多くの民間人を「虐殺」した。これは明らかな国際法違反のホロコーストだった。負い目のある米国は、日本もヒットラーと同じように裁くために日本軍による「虐殺」を探そうとして、当時ほんの一部で宣伝工作として使われていた「南京事件」を東京裁判に持ち込んだのだと考えられる。

 

今年は「南京事件」から70年の年だ。昨年中国では、「南京事件」をテーマにした「The Flowers of War」という映画が公開され、おぞましい日本軍の「蛮行」シーンに観客が憤慨したという。この映画はこの4月から世界で上映されることになる。

中国が80億円もの資金を投入し、中国人の有名監督がハリウッドの有名俳優を使ってつくった国策映画だろうが、ハリウッドの評価は最悪のようだ。しかし、歴史はこうやってねつ造されていく。

 

日本政府が手をこまねいて傍観していてはならいない。

 

どこかの国は、ことあるごとに「歴史を直視しろ」と言うが、そろそろ事実と証拠に基づいて「歴史を直視」すべきだ。河村発言がそのきっかけになればいい。

インドの聖者~シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師
2012.02.12

 

1月の下旬、私は一泊でインドのブッダガヤを訪ね、シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師とお目にかかる機会を得た。

 

シュリ・シュリは「聖なる人」という意味だそうで、ラビ・シャンカールがお名前。「The Art of Living」というヨーガと呼吸法を普及する団体の創立者で、現在のインドで最も影響力大きい精神的指導者だ。

 

2009年11月9日の世界的な経済誌フォーブズ(Forbes)誌でも、シュリシュリさんは「インドで最も力のある7人」の5位にランクされている。ちなみに同誌では、1位がソニア・ガンジー(国民会議派の政治リーダー)、2位がシン首相、4位がタタ自動車のタタ会長。

 

http://www.forbes.com/2009/11/09/gandhi-singh-tata-leadership-power-09-india_slide_6.html

 

シュリシュリさんは、インド各地だけでなく、世界145カ国に支部を持つ国連最大のNGO団体であるアート・オブ・リビングのリーダーとして、現代社会を生きる人々のスピリチュアルな面での救済に飛び回わり、私が訪ねた日も、ブッダガヤの近くの町で集会を開き、10万人の人々が参加した。

 

 

私は、シュリシュリさんの行く先々で、多くの人々がひざまずき両手を合わせ、シュリシュリさんに教えを請う姿を実際目にした。私はヨガも呼吸法もこの団体のこともよく知らないが、シュリシュリさんとお会いして、何とも言えない安らぎとオーラを感じたのも事実だ。

 

インドには、このような人々の崇拝を受ける偉大な精神的指導者が生まれる風土があるようだ。

 

私がシュリシュリさんとお会いしたかった理由は、全インドで尊敬を受ける精神的指導者と直に会ってみたいということもあるが、できればシュリシュリさんに日本とインドの各界各層の指導者や若者たちを、永続的につなぐ「かけはし」として協力をお願いしたかったのだ。

 

これから世界の繁栄の中心はアジアに移ってくる。また今後の中国の動きを各国が注意している中で、日印関係は極めて重要になる。私も杉並区長時代に、区内にある蓮光寺というお寺に、ガンジーに並ぶインド独立の英雄チャンドラ・ボースのご遺骨が安置されていることもあり、インドを何度か訪問し、杉並区とガンジー財団やボース研究所との関係を深めた。その結果、杉並区中央図書館の脇にはガンジー財団から贈られた、日本にはただ1体の大きなガンジー像が立ち、時々インドの方がお参りになっている。

 

日本とインドは、仏教や文化、さらに言語など多くの精神文化を共有しているが、これまでは「遠い国」というイメージが大きかった。現にブッダが悟りを開いたブッダガヤを訪ねる日本の仏教徒は、タイやベトナム、そしてチベットなどの仏教徒に比べて極端に少ない。

 

 

しかしインドでの「どこの国が好きか」という世論調査では、毎回日本が第1位であり、最近のインドの大きな発展ぶりを見る時、いずれ中国のそれを凌ぐことを予想させるものがある。またインドのデリーやムンバイ(旧ボンベイ)には、ANAやJALが直行便を飛ばしているので、もっと日本人がインドの今と歴史に目を向けてほしいと思う。

 

別れ際にシュリシュリさんは、「是非近いうちに、大きな災禍と悲劇を受けた東北の被災地を訪問して、祈りを捧げたい」と話された。

 

建国記念祭
2012.02.12

昨日は、創新党を支えてくださっている約50名の方々と靖国神社での建国記念祭に参列した。

 

素晴らしい晴天に恵まれ、英霊の御霊とともに日本国の建国をお祝いできて、大変ありがたく感激のひとときだった。神武天皇が樫原神宮でご即位されてから今年で2672年。万世一系の125代の今上陛下をいただき、平和で繁栄の国に生を受けたことに心から感謝し、世界の平和の中で幾久しく日本国が繁栄し、全ての国民に幸せが訪れることを祈った。

 

折しも祭事の途中に地震があり拝殿が揺れ、祭事は何事もないように粛々と進んだが、私はこの揺れが英霊の御霊の「日本を頼む」という力強いメッセージのように感じ、震えるような感動を覚えた。

 

国会では、野田首相が「皇位継承は男系を堅持する」との答弁もあり、心配をしていたが少しホッとしている。

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